初のフォークランド訪問から帰国した私は、現地で購入したイアン・ストレンジ氏の書籍を夢中で読み漁りました。

イアンの数々の著書の中で特に評価が高いのは、私が前書きを読んで雷に打たれたようになった、Harper Collins社出版の「WILDLIFE OF THE FALKLAND ISLANDS」なのですが、これだけ完成された本を、特に生物学等の学位などを持たないイアンが、自らの長年に渡る現地での丹念な観察の上書き上げた、ということには驚嘆しました。

ヴォランティアポイントの朝

一言でイアンを説明するとすれば、「それまで『野生動物保護』という観念が存在しなかったフォークランド諸島に、初めて保護という観念をもたらし、それを根付かせた人物」ということになるでしょう。

イアンは、闇雲に「野生動物は保護されるべきである」という理想論を掲げても、広く長い視点で人々に受け入れられるものではないことを知っていました。

何故なら、当時フォークランドの最大の産業であった牧羊業を営む民にとっては、猛禽類は子羊を殺すなど害しかなさない存在であり、遠い隔絶された離島等に住む人々にとっては、鴨やペンギンの卵は貴重で新鮮な食糧であり、そして、ペンギンや鳥類の重要な住処となるタサック草は、植生の少ない現地では、家畜たちの貴重な飼葉だったのです。

イアンは地元の別の有志とともに、世界的なクルーズ会社のクルーズをフォークランドに誘致。時代は、羊毛の価格が暴落し、牧羊業と並び、この辺境の地の主要収入であった各国の漁業権のセールスも伸び悩んでいた時。そんな時に、こんな辺境の地にわざわざペンギンや海鳥を見に来る人々がいて、その人々が上陸料等として多額のお金を諸島にもたらすという事実に気づいた人々は驚嘆。動物たちを守ることが、ひいては自分たちの生活の安定にもつながる、ということを理解した離島の人々が、こぞってイアンに、牧羊業と環境や動物保護の両立への助言を求めるようになりました。

イアンは、それまで地元民から「変人」と言われ続けながらも、離島等で何年もの間一人きりで行ってきた、丹念で粘り強い野生動物観察や研究の結果を、惜しげもなく地元の人々に還元。ここに、フォークランドに、住民に我慢を強いるような保護活動ではなく、住民・野生動物の両者に益をもたらす「持続可能な保護とツーリズム」が確立したのでした。

これらの功績を認められ、本国イギリスからは大英勲章を贈られたイアンですが、その後も、「動物のことになると雄弁だが、私生活では人付き合いを避ける頑固な変わり者」という一般の住民の評価は変わることなく、私の耳に入って来る情報も総じてそのようなものでした。

なので、私がイアンと連絡を取り、何とか翌年の訪問時のアポを取り付けた時には、驚いた人も少なくなかったようです。

刺激のないムラ社会では人々は噂好き。イアンに会いに彼の住むNew Islandを訪れて、首都スタンレーに戻った頃には、「どうやらイアンには新しい日本人の恋人が出来たらしい」という話になっていたのは、今思い出しても笑い話です。

初訪問の翌年、イアンの住むNew Islandを訪れそこで彼の家で過ごした数日間は、今でも忘れることが出来ません。

「人付き合いが悪く、変わり者」と言われるイアンでしたが、私には何故か驚くほど饒舌で、環境や野生動物への思いを語る内容は、情熱に溢れながらも、驚くほど冷静で超がつくほど現実的な視点に基づいたものでした。

その当時も、イアンがNew Islandに設立した保護団体の協力協賛を得た研究者たちが、島で各生物の研究を行っていたのですが、イアンがその初訪問時も含め、私によく語っていたのは、

「ミカ、保護には各生物の生態の細やかな研究は大切だ。でもそれだけじゃいけない。科学者はともすれば、その生物への傾倒が大きすぎて、環境や社会全体を見ることが出来ない。どうしても視点が狭くなってしまう。それらを含め、大きな視点で全体をバランスよく見ることが出来るナチュラリストの存在が欠かせないんだ。」

ナチュラリスト・・・それは、イアンが自身の立場を表現する時に一貫して使っていた肩書でした。大英勲章を受章した保護活動家(conservationist)でも研究者(scientist)でもなく。

このイアンとの出会いによって、私のフォークランドへの思いと情熱は何倍にもなり、その出会いが、ここをライフワークにする!という思いの原動力になったと思っています。

そして、変わり者と称されるイアンが、私に対しては比較的心を開いてくれたのは、私も自然を愛しながら生物学等の学位を持つ者でもなく、コーディネーターとして物事の全体を見る立場であったこと。そして、私も人と群れるタイプではなく、好きなことは一人で粛々と楽しみ、のめり込むタイプだったからかも知れません。

彼の家に滞在している時も、私たちは常に語り合っていたわけではなく、時に何時間も沈黙の時間を共有することもあり、その沈黙も互いに心地よい沈黙であったと思います。

その後も取材を通じて、イアンとは長きに渡ってお付き合いが続きました。

インタビューの度に、決してテレビウケする内容を語らず、自身の考えを曲げなかったイアンに各ディレクターが苦労していたのも、今となっては懐かしい思い出です。

イアンは、残念ながら2018年に病魔に倒れ、イギリスで逝去しました。2016年に治療のためフォークランドを離れましたが、離れる前にはもうフォークランドには戻って来れないということを覚悟しており、また、私が2017年にイギリスに彼に会いに行った際も、これが最後の出会いとなるということも覚悟していた様子でした。

イアンは自身が愛してやまなかったNew Islandの丘の上に静かに眠っています。

さて、今回の「フォークランドがライフワークになった訳」。

その第一回目で書いたように、人に「どうして?」と聞かれても、「なんとなくね~」といった具合でほとんど誰にも話してこなかったことを、つらつらと書いてきました。

私と付き合いが深い友人の方々は、普段から私が自分語りをすることは殆どなく、自分をアピールしたり目立つ行動をするのが苦手だというのをよくご存じだと思うので、まあ、ついに、初めての自分語りをしてしまったな、という思いです(笑)。

2003年の初フォークランド以来、ほぼ毎年、時には1年に2~3回訪れ、訪問回数も24回となりました。密かに自分では、「日本では一番ペンギンと時間を過ごしてきた、一番長時間ペンギンを観察してきた日本人」なのではないかと思っています(笑)。

趣味の動物写真や旅行などでも、一度追い始めた被写体はとことん追い続け、一度訪れて気に入った場所は何度も訪問してしまうところがあるので、とことん自分は凝り性なのだと思います。

今後、私の人生がどのようなものになっていくのかわかりませんが、年老いた時に最終的に自分はナチュラリストだったな、と思えるような人生が理想かな、と感じています。

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